令和の世の中、すっかり街中で見かけなくなりました。
決して維持しやすい車種ではありません。
とはいえ、確実に生き残ってるのです。たぶん。
調子が良ければ今でも十分楽しいバイクです。
当記事の目次
バイクの速く走るという性能を追求したらレーシングマシンに近づいた
というのがレーサーレプリカの誕生、進化の歴史ではないかと思います。
当時、時代は「何でも速い方が偉い。」というワビサビよりも効率みたいな世の中でしたし。
「既存のものをPDCAをぐるぐる回して、改善して究極なものに近づける。」
日本人はこの手の考え方が大好きですね。
今更ですが日本のバイクブームはまさにこれだったのではないかと思うんですよ。
当時、速いバイクはイケイケムードの好景気の日本市場に受け入れられて爆売れします。
※この頃、10代20代の人口は凄く多かったのでバイク乗りも今よりずっと多かったのです。
「速いバイクを作れば売れる。」
各メーカーはこの法則一辺倒になり開発競争を続けます。
※それで、PDCA回しまくったって話ですな。
その手法で作り続けるとここ迄なる。
もはや乗るのが怖いレベル。
そんなわけで、
バイクを速く走らせるためだけに特化して微調整を繰り返した結果、
「最終時期にはほぼレーシングマシンそのままの形でリリースされる。」
までに至ります。
単純にこれがレーサーレプリカの成り立ちであり、発展の歴史だった、というわけです。
ちなみに・・
バブル時期は「すべてを同じような考え方でPDCA回してたので日本は新しいものを生み出す力が無くなった。」ともいえそうです。
新しいものを生み出すより、既存のものを改善していく方が楽だったのではないかと。
※バイクに限らず、この頃はいろんなチャレンジングな試みも行われていますが、単純にお金があったからではないかと思うのです。
当時の日本は、お金儲けが割と楽だった好景気の真っ盛り。
そういう時は勢いがあるものです。
世の中はかなり狂喜(狂気?)の時代でした。
この時代を知らない人はかわいそうでもありますが、
「がむしゃらに働くことが当たり前だったことを考えるとやはり狂気。」
だったんでしょうねえ。
人間は当時の某ドリンク材のCMのように24時間は闘えないのです。
※当時ワタクシは体力がある10代の学生でしたので、高給なバイトがたくさんあって助かりました♪
レーサーレプリカの定義はイマイチ定かではない
どれもイマイチしっくりきません。
レーサーレプリカの謎
有力なレーサーレプリカの定義の一つとして、
「お手本となるレーシングマシンが存在すること。」
というのがあります。
確かに、後期になればなるほどレプリカバイクがサーキットで走るようになり、
それをメーカーのワークス大勢でチューンしたものをまた市販車が模したりしてどんどんレーシングマシンになて行くのですが。
「レーシングマシンのベース車がないけどレプリカカテゴリ。」
というバイクも多く存在しました。
KAWASAKI KR-1
KAWASAKI ZX-4
勢いはある。
ただ同時期の全く他社のレーサーレプリカには歯が立たなかった。
なんかはお手本が存在しないいい例ですな。
ZX-4は軽量を生かした素性の良さからF3のベースマシンになったりもしましたが、元になったレーサーはありません。
KR-1は、エンジンメカニズムから他社に一回り遅れたような設計で全然売れませんでしたな。
こちらも元となるレーサーマシンはありません。
世の中は2stVツインエンジン全盛に、オーソドックスなパラレルツインのKR-1は今更感が強かったのも確かです。
※パラレルツインの2stはYAMAHAも後方排気TZRで善戦したもののでは苦しい状態だった時代です。
「お手本となるレーシングマシンが存在すること。」
という定義だとZXRの登場までKAWASAKIにはレプリカは存在しないのです。
ああ、忘れていました。
KR250がありましたな。
スタイル的には中途半端なGPZスタイルで今見ると丸いテールランプとか新鮮です。
この半端なスタイルが今となっては唯一無二。
大学の同級生が乗ってまして「すんごい壊れる。」と言ってました。
一応、エンジン的にはレーサーにルーツを持つのでKR250は初期のレーサーレプリカの一種ですね。
ちなみに・・
初期のレーサーレプリカは1980年代になってから登場しています。
今更何が元祖だとかいう気はありません。
※諸説あります。
初期のレーサーレプリカは最終時期のレーサーレプリカバイクと比べると、エンジンもポジションも牧歌的ともいえるくらい平和です。
カウルがあると一気にレーサーっぽくなりますが、ポジションは結構中途半端で乗りやすいです。
ステップも意外と前についてるし、セパレートになったばかりのハンドル位置は結構高いです。
それでも当時からしてみれば過激だったのでしょうねえ。
日本が好景気だったからどんどん過激に進化していきました。
人間はどんどん慣れていき、過激さを求める生き物なのだということを今更思い知りますな。
今でもレーサーレプリカバイクは生きている
それも、レプリカ全盛時代よりもはるかに過激な状態で。
メーカーが公言してないだけで。
レーサーレプリカブームの最中は免許制度の関係もあり、中型の方がより一層レーシングマシンに近かったものです。
※最終期のレプリカは、ほぼF3カテゴリーのレースに市販状態のまま出られる仕様もあり。
ライディングポジションや荷物の積載などを考えれば、短距離専用っぽい割期の設計も多かったように思います。
カッコはいいけれど、本気で乗りづらいTZR250後方排気。
とにかくポジションがきつくて、低速がなくて、キャブ外すのに冷却液抜かないといけないのが面倒臭い。
※若かりし頃、3か月くらい自分名義で持ってた。
世界市場を狙った600ccクラスくらいまで、この過激な傾向は続きました。
CBR600Fを皮切りにどんどん超常兵器っぽくなっていきます。
※初期の600ccスポーツモデルは割とツーリングにも使えた通が選ぶマシンだったんですが、進化する度に峠スペシャルになっていきます。
一方、世界的に見たら当時の大型バイクは長距離ツーリングにも使えなきゃいけないってんで、比較的レプリカ度が低かったように思えます。
カウルをはじめスタイルこそレーサーっぽいですが、
など、それまでのバイクを踏襲した装備がしっかりついていました。
大学生の時、無理やり入れてもらった社会人のツーリング倶楽部に乗ってる人がいた。
当時はスゲエ過激と思ったけれど、今の物差しで見るとツアラーのようですな。
初期の大型レプリカは「比較的ツーリングにも使える。」車種が多かったと記憶しています。
スロットルも今のバイクほど軽くなく、長距離で高速道路を走るのに楽なセッティングでした。
※大昔、ちょっとだけ初期型のGSX-R1100を所有してたことがあります。
例えば、
初期のFZR1000と最近のYZF-R1なんかは、まったく違う乗り物に進化しました。
※YAMAHAはこういう真面目な作りをするメーカーですな。
それが今ではこんなです。
軽めの兵器ですよ。
今は、メーカーもメディアもレーサーレプリカとは言いませんが、
「現代の大型スーパースポーツはレーサーレプリカである。」
と言っても問題ないと思っています。
※意外にも「多くのバイクメーカーはスーパースポーツとも言ってない。」のです。
かつては、中型がレーサーレプリカの主戦場でしたが、
現代は各メーカーの大型フラッグシップ機がレーサーレプリカの流れを受け継いでいると言えるのでは?
思いっきりサーキットでアピールしてますがな。
でもレーサーレプリカとは言ってないのです。
「お手本となるレーシングマシンが存在すること。」
の定義に則るとレーシングマシンがベース、というよりレーシングマシンのベースという位置づけなのかもしれませんが。
ちなみに・・
オフロードバイクの世界でも「レーサーレプリカ。」は存在しました。
当倶楽部のDT200WRは、まさにその一台です。
街中でも林道でもすっかり見かけなくなりました。
※ごくたまに、クローズドコースの練習で 貧乏 大学生のチームが大事に使ってたりする。
ワタクシが長野に移住してきた十数年前はCRM250とかRMX250とかKDX220とかの2st勢ですらまだ残ってたんですがねえ。
※乗ってる奴は大抵面倒くさい人でしたが。
いまでは、
何処に行っても2stオフロードバイクなんて見かけなくなりました。
※4stのXR250もWR250もDR250も販売終わってる今では2stが現存できないのは無理もないけど。
維持は結構大変ですが、ワタクシ的にはこれ以上に楽しいオフロードバイクは存在しないのです。
オンロードのレーサーレプリカと違って、
オフロードは一生コレでいい、と20年も言い続けています。
ストックパーツもたくさんあるのでたぶん一生乗ります。
※マニアってこういうものなのかもしれませんな。
何度も入院を伴う大転倒したので、真っ先にダメになりそうなのはフレームなのです。
ああ、DT200WRの 曲がってない フレームが欲しい。
レーサーレプリカは公道で使える代物なのか?
※特に登りは今でも中型レプリカでスポーツすると超楽しいです。
大型のバイクはレプリカであろうがなかろうが、訓練されていない一般人が公道で乗るにはパワーがありすぎます。
※そのパワー感を楽しむ、というのはわかりますが、モノの数秒で法定速度を超えます。
昔からそうなのですが、年々技術革新で速くなりつつありますよねえ。
それでも、各メーカーは最速というイメージがいまだに欲しいんですなぁ。
※2番だとどれくらい売れ行きが違うんですかね。
80年代90年代の中型レプリカを峠専用にして適当に遊ぶのはアリかもしれません。
※スピード違反は自己責任ですが。
ただし、
中型レプリカバイクは後期になるほど、峠に行くまでの街乗りが結構辛いです。
※田舎の峠の麓に住んで用途限定、とかだと楽しいかもしれません。免許は一生ゴールドにならなそうですが。
乗ってみればわかりますが、
という乗り物なのです。
で、あれば。
過激でなかった頃の初期のレーサーレプリカっぽい位置づけのバイクの方が万能に遊べそうです。
ただし、
荒く使われることが多い性格の車種なので現存する個体は極めて少なく、まともな個体はさらに少ないと思われます。
今からまともに走るレーサーレプリカを入手するのはかなり難しいし、手に入れても部品難で好調を維持するのはさらに厳しいハズなので旨味はないですな。
この手のバイクを入手する際は、
「マニアが大事にしていた個体を、予備パーツなどを含めて譲ってもらう。」
が一番スマートな方法です。
状態にもよりますが、
のであれば、相場の1.5倍くらいまで出しても高くはないハズです。
※同程度の個体を探す手間やパーツを集める手間を考えればかえって安い。
レーサーレプリカは、お金持ち&メンテスキルがある人しか乗れないのですよ。
もはや誰にでも乗れるバイクではないのです。
※メカに自信がない人が調子に乗って手に入れると痛い目に遭いますよ。
ちなみに・・
現在、最終期の中型レーサーレプリカは公道でほとんど見かけることがありません。
特に400ccクラスのレプリカは絶滅したんではないかと思うくらい見かけません。
なんでもそうですがあんまり過激すぎると、長く生き残れないのかもしれません。
最終時期の過激すぎるレーサーレプリカは、マニアにとっても扱いづらい代物なのかもしれません。
※90年以降のNSRとVFRは除く。あれは超常古代兵器です。
ワタクシ史上、が一番乗りづらいと思ったバイクがコレです。
造詣は素晴らしくカッコいいんですが、低速ないし、ハンドル切れないし、ポジションキツイし、街乗りで使えるもんじゃありません。
※渋滞だらけの都内で乗るとまるで拷問です。
田舎でもごくたまに250ccクラスの割と初期のレプリカを好きモノが趣味で乗ってるのを見かけるくらいです。
※屋内保管で大事にしてるんだろうなぁ、という個体ばかり。維持は大変そうです。
こういうマニアに大事にされた初期のレーサーレプリカを見かけるとその日一日いいことがあるような気すらしますね。
初期のレーサーレプリカは後期に比べてスペック的に劣っても一応ツーリングや街乗りにも比較的普通に使えますし。
バイクの使い方がレース一辺倒でなく、多用化した現代には
「レーサーと瓜二つというより、レーサーの匂いがする位のレプリカがちょうどいい。」
のかもしれません。
※少なくとも現在は中高年ライダーが普通にツーリングできないバイクは売れると思えませんな。
「長く生き残るのは、最強だったモノではなく時代の価値観の変化に耐えられるモノ。」
なのかもしれません。
まとめ
もしくは、
そのイメージを色濃く継いで市販車にフィードバックさせたバイク。
そんな曖昧なカテゴライズでいいと思われます。
当時の中型レーサーレプリカに今乗ると、すごく新鮮です。
老いも若きも男も女も、乗れる機会があれば乗ってみればいいと思うのですが現存数を考えると残念ながらその機会は多くなさそうです。
「レーサーレプリカはダサい。」
という人がいますが、
それはボロイレーサーレプリカバイクをを小汚い小僧やオッサンが乗ってるイメージがあるからダサく感じるだけですよ。
実際に綺麗な中型のレーサーレプリカに出会うと、ちょっと神々しい雰囲気すらありますよ。
※綺麗な旧車バイクに乗る人は大抵きちんとした身なりの大人なイメージがあります。
ほぼ絶滅してしまったと思われる当時のレーサーレプリカですが、実は確実に細々と生き残っています。
まあ、ダサいと思うなら言わせておけばいいのです。
そもそもダサいとかカッコいいという価値観は画一的なものではありませんし、画一的になるとろくなことがないのです。
ダサいとか言われる筋合いはないのです。
逆に、
「いろんな辛苦を乗り越えて今乗ってる人はカッコいい。」
とすら思います。
レプリカの始まりのころのバイクが欲しい気がしてきた。
フェーザー、いいなぁ。後期型はリアがディスクになるんだよねえ。
当時のバイクを大事に維持していればそのうち資産になるかもしれません。
それは誰にでもできることではありません。
ダサいとか言われる筋合いはないのです。